サレルノからナポリへ

D.H.ロレンスが過ごした部屋ですがすがしい朝を迎えた。天気は昨晩から回復しており、雲も少なくなった。早めにチェックアウトをしてラヴェッロの二つのヴィラを回る体勢をとる

レセプションで荷物を預かってもらい、まずはチンブローネ荘に出かけた。良く整備された庭園を抜けて、海の見える展望台までたどり着くと、崖から突き出した舞台のような展望台には、映画に使われるような大理石の胸像が何体も置かれ、素晴らしい海の景色が広がっていた。雲はすっかり遠くに追いやられ、青空が広がっている。もう一つの有名な由緒あるヴィラのルフォロ荘よりも、贅沢な感じだ。建物に付けられた銘板が語るには、「ここで、グレタ・ガルボはハリウッドの喧噪を逃れ、指揮者ストコフスキーと秘めやかな幸せの時を知った」とある。ストコのお爺さん(と言っても1938年だから「オーケストラの少女」に出演していた若々しい頃か)とグレタ・ガルボがつき合っていたとは知らなかった

チンブローネ荘の後は、もう一つのヴィラであるルフォロ荘を訪れた。チンブローネがグレタ・ガルボなら、こちらはワーグナーである。かつて、ワーグナーがこの別荘に住み、海を見下ろしてパルシファルの構想を練ったとされる。この町には、グラール(聖杯)という名のホテルもあったが、勿論、パルシファルにちなんで付けたのだろう。ワーグナーのみならず、13世紀に建てられたこのヴィラは、それ以前も何人かのローマ法王がとどまっていたという。しかし景色は良いものの、馬車の時代にこのような山の上まで上ってくるのは大変だったことだろう。昨年も訪れた庭園に行き、再び眼下にアマルフィ海岸を見下ろす絶景を楽しんだ。海にはうっすらとガスがかかり水平線はぼんやりとしている。

昼頃にはホテルに戻り、荷物を取ってバスでラヴェッロを後にした。今日はこれからナポリまで向かわねばならない。アマルフィでバスを乗り換え、ソレント半島の付け根にあるサレルノを目指して進む。アマルフィを出ると、徐々に景色も普通の海岸に戻ってゆき、アマルフィ海岸の特別な風光が薄れていく。サレルノは新しい建物が素っ気なく立ち並ぶ余り趣のない町だった。小さなバス・ターミナルは、日本の地方都市のもののような、暗くてうらさびしい感じがする。30分以上待ってナポリ行きの特急バスに乗り込む。怪しげな連中もたむろしており、気持ちのいい場所ではなさそう。やがてバスは出発し、サレルノの町をくねくねと走り抜けてタンジェンツィアーレの入り口に到達した。後はナポリ目指して高速道路をまっすぐ走るだけだ。トンネルを抜け、ソレント半島の北側に出ると、ポンペイ遺跡出口だ。結局、ポンペイは訪れることなく終わってしまった。エルコラーノも過ぎ、バスはナポリの町に入る。ナポリ中央駅を経由してピアッツァ・ムニチピオまで行く。ここからボビオ広場の方へ戻りホテル・エグゼクティヴに無事チェックイン出来

小さなホテルで、ワンフロアに4部屋くらいしかない。我々の部屋は通り向きで、窓を開けると大変な雑音だったが、閉めると殆どの音は遮られる。通りの風景も見ることが出来てこれはこれで良い。チェックインの時、金庫の鍵と一緒に鍵のユニット一式を渡してくれた。金庫の扉には穴があいていて、ユニット丸ごと取り付けるようになっている。部屋と鍵の組み合わせを適宜入れ替えて、犯罪を防いでいるのかも知れない。しかし、ここはナポリ。安心は禁物だ。特別2重構造ポケット付き改造ズボンもはいているので、リスク分散してカードや現金も一部は持って出るようにした。

ボヴィオ広場から中央駅への通りを歩いていくと、人通りは多いが、何となく雑然とした印象で、立ち並ぶ店も安物売り風である。高級な店はオペラ劇場から向こうにあるようだ。靴などは確かに安いが、バーゲン風のものばかりだ。結局、駅の手前まで行き、引き返すことにした。ホテルでお薦めのレストランを訊くと、近くのを教えてくれた。しかし、近くで済まそうと思ったのがあまり賢明ではなく、そこそこの味だった。値段も高くはないが、味から考えるとそれ程納得のいくものでもない。だいたい、こんなところでレセプションが教えると言うことは、まあ何らかのつながりはあるのだろう。日本人のグループが入っていたが、何かのガイドにも出ているのかも知れない。明日はオペラで遅くなるので、早めにホテルに戻り、翌日の計画を立てることにした