紀行篇
写真篇
朝になった。早速ホテルの部屋から電話でホテル探しをする。残された僅かな候補の一つ、アイルランドで一番大きいフェニックス公園の隣にあるというホテルにかけたら一発でOKとなった。昨日はあれほど電話をかけまくって全てふられたというのに。宿からの電話のチャージはほとんどテレカが一枚買えるほど高くなったがグッドラック料だ。すっかり安心して朝食を取りに階下へ下りる。庭にせり出したサンルームのような食堂で大きな窓からあふれ込んでくる朝日を浴びながらの朝食。隣のテーブルに座っていたアメリカ人の夫婦としゃぺりながらのんびりする。全部食べると量が多すぎてしまうのでいつもパスしていたブラウン・ブレッドが実はアイルランドでしか食べられない特産品だと聞いて、自家製だというそのパンを有り難く頂いた。アメリカ人夫婦は旦那の仕事の関係でアイルランドにしばしば来るのだと言っていた。
食事の後は余りゆっくりもしていられず、ダブリンに向けて出発。途中で寄り道をしてトリムの城をみる。民族衣装を着た小学生の女の子の団体がまるでガール・スカウトのような感じでぞろぞろとやって来た。何かのお祭りがあるのだろうか。しかし午後いっぱいを買い物に充てようとすぐにトリムを後にして、ケルト神話の舞台であるタラの丘に寄った。丘の上に足跡を残し、一路ダブリンを目指す。昼過ぎにはホテルに到着した。少し古ぼけたホテルで、禿頭の実直そうな旦那は電話中でなかなか終わらない。台所などを補修している最中のようで、何センチの何の板を何枚とかこまごまと業者に注文しているのだった。 時間がかかりそうなので先にトイレを借りて、薄暗くがらんとしたバーのソファーで待つ。10分以上たって旦那はやっと電話を終えると、実に申し訳なさそうにアイ・アポロジヤイズと言う。顔入りホテル・ガイドの説明には「ドイツ人とアイルランド人の夫婦による経営」と書いてあったが、この映画俳優のような味のあるまじめそうな旦那の方ががドイツ人だろうと勝手に断定。
荷物を部屋に上げてしまうとすぐ町歩きに出た。途中から2階建てのパスに乗リテンプルバーの近くで降りた。まずはヴァ-ジン・メガストアとHMVでCDやヴィデオを買い込む。アイリッシュ音楽は独立して―つのコーナーとなっているが、それ以外のケルト系音楽は特に区別せず、全てフォークというカテゴリーに分けられている。だから、スコットランドやブルターニュ、ガリシアは全て同じカテゴリー、それもその他の民族音楽と同じ大分類になってしまうのだ。CDの他にRTE(ラジオ・テレヴィ・エーリン)の音楽特集のヴィデオなど「戦利品」が続々。しかしこれだけでは満足できず民族音楽レコードの専門店、クラダー・レコードを探す。ダブリン市街地図を買ったものの店の住所が書いてあった「地球の歩き方」をホテルに忘れてきたことに気づき、一生懸命通りの名を思い出そうとする。確かセシリア通りだった。地図であたりを付けるとテンプルバー近くにセシリア通りを発見。音楽の聖女セシリアの導きである。
路地裏の小道を辿って到着したクラダーレコードはとても小さな店だった。自前のレーベルも有名で、チーフタンズのハープ弾きデレック・ベルのソロ・アルバムなども出している程なのでもっと大きいかと思っていた。渋谷か新宿のアフリカ音楽専門輸入レコード・ショップという感じ。早速展示棚をあさリフランシス・ブラックの新譜やデレック・ベルのまだ持っていなかったCDを選ぶ。カセット棚には鍵がかかっていてゲール語タイトルのカセットを3つ程選んで出してもらうと店の人は「この二つは無伴奏の独唱ですごくいいよ。でもこれはちょっとクラシックっぽい歌い方だね」 「じゃあこの二つだけにするよ」 こちらの好みもすぐに分かってもらったと見え、色々勧めてくれる。勧められるままになかなかHMVなどではお目にかかれそうにないシャンノスのCDなど一通り買ったあとは四方山話の相手をしてもらう。以前、日本の欧州系トラッド、民族音楽輸入CDで有名なタンボリンという通販レコード・ショップの船津さんのことも話に上った。「今日この近くでとてもいいアイリッシュ・バンドのライブがあるんだ、これを知ってるかい」 とダーヴィッシュのCDを出す。そのCDは最近パリのFNACでも見たが丁度そのころ買っていたCDに外れが続いたためジャケットだけで、パスしていたものだ。聴かせてもらうと実に良い。こんなにいいとは思わなかったと出ている3枚を全て買い、ライブハウスの場所も教えてもらう。カウンターの奥の棚にヴィデオが並べてあるのでそれも出してもらうとメアリー・フラックのライブなんかがあリ追加で買い込んだ。次のお客さんが来たようなので挨拶をして店を出た。
教えてもらったウィーランズの場所を確かめに行くとどうも余り雰囲気の良さそうなところじゃない。車で来た方が良さそうだ。セント・スティープンス・グリーンから歩いて5分くらい。クラダーでもらったウィーランズのパンフレットにタワー・レコードの広告が入っていたので行ってみた。一部他の店より1ポンドくらい安いものもあったが、品揃え、雰囲気共に良くない。ロンドンのタワーも最近はトラッド系の充実でHMVに負けている。カウンターに「スターリング」はもう受け付けません」と注意書きがあった。ということはSTGが強かったときは使えたのかな? 再びオコンネル通りに出てイーソンで本やカレンダーを買う。裏道では闇タバコ売りがシガレット、シガレットと言いながら寄ってくる。子どもからおばさんまで、まるで19世紀のロンドンみたいな雰囲気。他の国と違うのは、彼らは移民ではないということ。国内にまだデジタルな貧富の差が残っているみたいだ。そう見ると、他の国が国内から貧富の差を消滅させた様に見えても、実際はそれを輸出しただけかも知れない。
イーソンの前でバスを拾う。このパスが実はガラの悪そうな所ばかりを選んで走る裏ダプリン巡り周遊ルートだった。荒んだ感じの雰囲気の悪いマウントジョイ通りやシェリフ通りを抜けるがまだ明るいので「地球の歩き方」で警告しているほど危険そうでもない。バスに乗っている人たちも見かけは普通。ホテルの手前で道を外れ団地の中に入る。今度はパリ郊外のHLM(低所得者アパート)のように洗濯物がたくさん干してある集合住宅の真ん中に停車。マウントジョイよりむしろヤバそうな雰囲気だったが、結局その次の停留場が終点。ちょうど公園の入り口でホテルからすぐの所だった。
部屋でシャワーを浴びて一休みする間もなく、再び今度は車で町へ下りた。セント・スティーブンス・グリーンの端に車を停めウェーランズまで歩く。近くのパブでサイダー(フランスのシードルと同じであろうリンゴの発泡酒でビールと同じようにタップから注ぐ)を飲み、まだ時間があるので車をウィーランズ近くの路上に移動した。どうも雰囲気の悪い人がちらほらしているが、まあレンタカーだから盗まれたっていいや。店でギネスを飲んで待つが時間が来ても何も始まりそうにない。軽食を食べようと思っていたが立ち飲みだし食事メニューも無さそう。昼食抜きで買い出ししたので空腹がこたえる。ピ―ナツだけをつまみにギネスを飲んでいると酔いが回ってくる。そのうちどやどやと入ってきたドイツ人らしいグループは「ああ、ここは違うぞ」と言って出ていってしまった。始まる筈の時間が来ても何も起きない。それにしてもこの小さなフロアのどこで演泰するのか。CDまで出しているバンドだから客も多い筈なのに。思いあまってバーテンに訊くと、ライブハウスは隣にあって裏道から入る由。あわてて飲みかけのギネスのグラスを持って移動した。
入り口で5ボンドのアドミッションを払う。3枚のCDをヨーロッパ中で売っているような人気バンドなのにチャージが5ポンド? 舞台ではフルートとハープの演奉が始まっている。これがそれ? これはまた随分地味ではないか。でも実は彼らは前座だった。フロアは満員だったが右側の壁際に寄りかかることが出来る立ち見場所を確保できた。舞台も近くて障害物も無い。暫くしてからダーヴィッシュ登場。いきなり演奏をスタートするが実にノリがいい。2曲歌い終えるとヴォーカルのキャシー・ジョーダンが「みんな、ホットなライプが良いでしょ? それじゃあエアコン止めて」と叫ぶ。喝采。そして空調がストップ。ジグやリールと歌をまじえて進行。ダンスのセットでチューンを変えたり、パーカッションが入るとやんやの拍手と声援。これは効く。フロアの温度もどんどん上昇。回りの客も足で拍子を取り始め、ついに踊り出す人々も出てくるが、。ベアを組んでのフォークダンスでくるくると回転している。キャシーはゲール語の歌の簡単なコーラスを客にハモらせたりして盛り上げる。かけ声が入ったり曲調が変わるたびにフロアはウォーッとどよめく。ピーヒャラピーヒャラが頭の中でぐるぐる回転し、前頭葉マッサージ効果抜群のアコースティック・テクノ・ボップだ。
メリハリのきいた2時間弱のセッションが終わり、フロアが明るくなる。みんなギネスの入ったグラスを手に飲み続けている。ふと声をかけられて振り向くと昼間に訪れたクラダー・レコードの店員だった。「実に良かったよ、教えてくれて有り難う」と礼を述べた。しばらくケルト音楽談義になり、居合わせた彼の知り合い達とも話す。ここウェーランズは普段はプルースなどが多くていつもアイリッシュを演っている訳ではないらしいが少なくとも夏のシーズンはトラッド中心、壁のポスターを見てもカルミナやシャロン・シャノンなどのスターが目白押し。ううむ、あと1週間いたいところだ。名刺を交換すると、ただの店員と思っていた彼はクラダー・レコードのセールス・マネージャーだった。小さな会社だから自分で売り子もしているのかも知れない。もう深夜となリホテルもクローズしてしまわないか心配になリウェーランズを後にした。最初に間違えて入ったバ―の方も既に明かりが消えていたから、ライブハウスの方に残っていた客達ももあとは三々五々帰るだけなのだろう。ホテルに戻るとこちらもちょうどバーが閉まったところで最後の一杯は飲みそびれて部屋に入った。