紀行篇
写真篇
翌朝も雨がち。あまり面白味のない田舎道で国道とはいえ所々で道幅は狭くなり、農家のトラクターの後ろに付くと追い抜くのが大変だ。リメリックの手前で、アイルランドのチャーミングな村コンテスト第一位に輝くアデアの町を通過する。高級ゴルフホテルのアデア・メイナーがあることでも有名な町。だがここには停まらずに先を急ぐ。大きなリメリックの町も中心部に入らずパス。シャノン空港を越えた辺りから天候が好転してきた。これならモハーの断崖を訪れる頃には絶好の日和になりそうだ。イーニスに着く頃は朝から雨を降らしていた雲も地平線の方へ押しやられてすっかり晴天となる。イーニスの町にはバイパスがない上、主要道路が集まって来ているので中心部は渋滞していた。町を出たところで初めてヒッチハイクのカップルを乗せた。モハーの断崖に行くと言うと、そこまで連れていってくれと言う。イーニスに住んでいて、これからアラン島に行くのだという。ラジオからはサリー・ガーデンのメロディーが流れる。ちょうどゲール語専門のラジオ・ゲルタハトの番組だったので、学校教育におけるゲール語教育について彼らに質問してみた。最近は学校でも熱心にゲール語を教える上、正字法もシンプルになり教育方法も改善されてきたらしい。 でも実際のところ自分たちは余り話せないと言っていた。ラジオ・グルタハトをずっと聴いているとゲール語にも人によって発音に癖があるみたいだ。地方差もあるのだろうし、特に女の人には英語訛りのゲール語を話す人も多そうだ。
海から強い風が吹き付けるモハーの断崖の駐車場で二人を降ろし、ウィンドブレーカーを手に断崖ヘと登っていく。展望台への道は高校生くらいの団体であふれていてフランス語が飛び交っていた。学校の旅行のようだ。すっかり晴れ上がり、写真やビデオでため息混じりに見て来たのと同じ光景が広がる。でもビデオだとヘリを飛ばして海側からカモメのような視点で撮影するので実際に陸地から見るより雰囲気がある。実際にその場に立ってしまうと感激まで今一歩。これぞ複製仮想現実時代ゆえのリアリティの逆転現象か。すっかり堪能して駐車場への道ばたで小型トラックの荷台で営業していたカセット・テープ売りからマイナー・レーベルというか無印の民謡のカセットを2本ほど買って車に戻る。このあとは大小の岩石がごろごろ転がっている不思議な風景のバレン高原を越える道をとる。小さなストーンヘンジがあり牛が放牧されていた。車を降りてストーンヘンジまで歩くと雨が降りだしたので石の下にもぐって雨宿りをする。バレン高原を下リゴールウェーに向かう。ゴールウェーは音楽祭なども開かれる西部アイルランドの中心都市で本当は一晩泊ってゆっくり歩くべき街だが、このままコネマラまで進んでしまうことにした。
バイパスを抜け、町を離れて暫く走ると右側に細長い大きな湖が現れた。ロッホ・コリブだ。途中、林の中の小さな町ウーターラードに雰囲気のいいホテルがあったが、とにかく先へ進む。クリフデンまで行ってしまおう。車窓の風景はますます美しくなる。まさにここがコネマラ地方なのだ。尾瀬のような感じかも知れない。問題は道に路肩が無く車を停めるところがなかなか見つからないことで、殊にピクチャレスクな場所ほど道に余裕が無い。脇道にそれて車を停め少しゆっくりとコネマラの風景に浸っていると、日も少しずつ傾いてきた。まずは林の中の湖畔に立つ高級シャトー・ホテルを訪れた。こんなに綺麗な所なら思い切って奮発しようと心を決めたのに、例によって満員。それに一人で泊まるような場所ではなさそうだ。やはリクリフデンまで行くしかない。国道に戻り西へと進めばそれ程の距離も無くクリフデンの町に到着する。この町も随分人が多い。ホテルはいくつかあったが、一つ目は満員。二つ目はガイド記載の倍額を提示。背に腹は代えられず、しかしそのままOKするのもしゃくなので他も回ってダメなら来るからと都合のいいことを言って三つ目にトライ。そこも満員とわかり二つ目のところに引き返すと「アンフォーチュネトリー、さっきの部屋はたった今出はらったところなの、ごめんなさい」とのこと。何てこった。クリフデンもあきらめて、この分じゃウェストポートあたりまで行かなきゃだめかと再び暗澹たる気持ちで車を走らせる。しかもウェストポートのホテルには空部屋があるという保証があるわけじゃない。キャッスルバーかへたすりゃ夜も更けてスライゴーまで行ってしまうのか。湖を跳めるきれいな道も、少しずつ傾く夕日の不安で堪能するどころでなくなってしまう。この国にはフランスのようにノポテルやイビスなどという便利なチェーン・ホテルはないのだ。大体、そんな味気の無いビジネス・ホテルに頼らなくともフランスでは至る所にホテルとかレストランがある。その上、地中海沿岸のリゾートならいぎ知らず、田舎だったら大体どんなトップシーズンでも泊まりっぱぐれることはない。それが普通と思っていたが、もうここでは全然違うのだ。
しばらく湖畔を走ると道ばたに小さなホテルがあるのに気づいた。"THE PASS INN - Hotel & Restaurant" と看板が目に入った。今度こそ、と車を乗り入れフロントを訪ねると宿屋の娘さんなのか高枝生ぐらいの女の子が出て来た。部屋はあっさりOK。しかも27ポンドと格安で思わず聞き返してしまった。窓から湖を眺める2階の部屋はリノベートしたばかり。シャワーは小さな電気湯沸かし器で湯量が少ないが何とか実用になる。トイレの水が流れなくなったり水回り関連で悪戦苦闘したが、シャワーですっきりして食堂へ下りた。外を散歩するには少し遅くなってしまったので、ラガーを頼んで外の夕景を見ながら飲む。ステレオはBGMにクラナドを流している。草におおわれた小山や音もなく横たわる湖、日が沈み少しずつ黒さを増してゆく林にアカベラのなつかしい調べが実によくマッチしている。この風景にこの音楽、いよいよ期待通りのアイルランドになってきた。昨日と同じように食事はホテルで取るしかないが、家族経営のホテル・レストランだし、なによりロケーションが素晴らしいので文句はない。料理の方はここもフランス風で味も良い。12ポンドで昨日とほぼ同じ。このくらいが相場なのだろう。ワインは英語の名前のものにする。まさかイギリスのワインか?(少しは作っているとはきいたが) ボトルを見たらオーストラリア産だとわかった。なるほどカリフォルニアもオーストラリアも英語の名前で不思議でない。味はまあまあ、この料理だったらもっといいワインでもいいが、そうするとかなり高くついてしまう。食事の量は十分で、朝になるとまた充実のアイリッシュ・ブレックファ-ストだから全く昼食を取る必要がない。