Méditerranée 1
初めて地中海を見たのはいつのことだっただろう。 フランスで働くことになり、フランス語を短期間で修得しなければならなった私は南仏ヴァール県のドラギニャンという町で先生の家にホームステイするというコースをとることになった。 ニースの空港を出た車は、高速を走りながらその窓に地中海を映し出した。 いきなりそんな風景の中に投げ出されて、見るもの全て驚きの中で見た地中海。 その後、南の地方を訪れるごとに、数々の文明をはぐくんだ羊水のような海に忘れられない印象と親しみを覚えていった。 それは時にはコルビエールのワイン畑の向こうに広がる眩しい青さのなかにあり、またキャップ・ダグドのビーチに遊ぶ娘たちと戯れる白い泡沫のなかにあった。 ソレントやカプリ島のレモンの枝越しの鮮やかな光の反射やリヴィエラの気取ったひとこま、マラガの丘の上から臨んだ陽光に包まれる海原。 ひとつの地中海はたくさんの顔を持っていた。
ジブラルタルでは、あの数々の文明を生んだ大きな海が目の前のわずかな距離の海峡で集約され大西洋に繋がっているということに、とても不思議な気持ちを浮かべて、いつまでも手の届きそうなアフリカの山を見続けていたものだった。
地中海。
その姿を目にする前から、その潮風がはぐくんだ音楽を通して知っていた。 だから、初めて見たときも旧く懐かしい思いすら胸に浮かんだ。 その歌々の節回しは、遠く離れた今でも、その暖かく湿った潮風を耳元に運んでくる。
Maria del Mar Bonet
カタロニア語の音楽復興運動「ノーバ・カンソ」を担うマジョルカ島出身の歌手 Maria del Mar Bonet。 マジョルカ島出身だが、カタロニアのみならず、コルシカからギリシャまで幅広く地中海世界の歌をとりあげる。 しかし、それは居心地の良いイマジナリーな世界旅行ではない。 彼女が活動を始めた60年代はまだフランコ将軍がスペインを独裁的に統治しており、カタラン語を使用することにすら制限が加えられていた。 そのような政治的にテンションの高い状況下で、彼女はカタロニア文化復興運動を担う「16人の判事」というグループに加わって活動することになった。 いわゆる「新しい歌」運動である。 しかし、それは単にカタロニアの分離独立を主張するカタラン・ナショナリズムではなく、逆にネーションを超えてひとつの地中海世界を構築するという「夢見る力」の発揮だ。 ひとつの海に育まれた多様性に気づかせること。 近代以降のネーション・ステーツの時代も、地中海世界の三千年の歴史の中では、時の地層のひとつの断面に過ぎないということを感じさせる。 EU統合というのは、まず経済統合からスタートしているために単純に経済ブロックの創設のように見える。 しかし、国境という線が薄くなることは副産物として歴史の古層が時を超えて現出するという文化的な地場の変容を促しつつあるのかも知れない。 汎ケルト世界や、汎地中海世界を描き出そうと言う試みが、音楽の世界においてもムーブメントとして興ってきている。 そんな時のうねりをも、マリアは地中海の潮風を思わせる伸びやかさと湿り気を同居させた歌声をもって紡ぎだしているようだ。