みんなのうた'70s

みんなのうた'70s

NHKの「みんなのうた」は 1961年4月に始まり、以来今日まで放映されている長寿番組です。個人が運営している情報サイトも充実したものが多くあります。そんな中で、新たなサイトを作っても付け加えるべき資料的価値もほとんど無いので、ここでは、1971年から私が一番良く聴いていた限定された時間のみんなのうたを当時のテキストをたよりに、極めて私的に、振り返ってみることにします。

小さな木の実

みんなのうたを聴き始めた頃、いきなりこんな素敵な曲に出会ったのは幸運だった。ビゼー作曲のオペラと言えばカルメン以外では「真珠取り」の方が有名だが、「美しきパース(ペルト)の娘 La Jolie Fille de Perth」ってどんな曲? なんと言っても「みんなのうた」屈指の名曲の原曲を何としても聴いてみたいもの、と調べると、ジョルジュ・プレートルが85年に録音している(EMI 747 559 8)ではないか。

というわけで聴いてみました。第二幕の中盤、スミスが歌うセレナードとして、このメロディが登場。しかし、クライマックスで朗々と歌われるというのではなく、割とあっさり。繰り返されもせずに、歌は次のモティーフに移りCD1枚目終了。うーん、なんだか肩透かしを食らったような。それにしても、こんな素敵な歌になるようなメロディを、ある意味もったいないくらい素っ気無く置いておけるのだから、さすがビゼーである。

さて、パースかペルトか? もともと、このオペラの原作はウォルター・スコットのThe Fair Maid of Perth なので、パースの方がいいのか、いやビゼーのオペラ(リブレットはフランス人)のタイトルとしてはフランス語風にするべきか。まあ、どっちでもいいけど。

大庭照子さんの力強い歌唱が耳に焼き付いている。

それ行け3組

古き良き時代の小学校の歌。当然、キレる子も学級崩壊も無かった頃である。「せんせのあだな」がマントヒヒだったり、百ボルト(両手の拳骨を頭蓋の両側を当てて力強くグリグリとやる刑罰)などという風習が記録されていたりして当時の学校生活が偲ばれる歌詞となっている。西六郷少年少女合唱団が元気に歌っていた。その名称から想像しても、池上線や目蒲線のガード下で、多摩川の河原に吹く風を頬に受けて転げまわりながら遊んだ子供たちが歌っているような感じがするではないか。この味は杉並少年少女合唱団には出せまいな、とか、みんなのうたのプロデューサーもちゃんと考えていたのだろう。

わたしの紙風船

越部信義が、当時のフォーク・ソング調で作った名曲。赤い鳥が歌っていた。

気のいいあひる

「からだがおおきくて、うみもわたればさかなもたべた」ころの昔のあひるってどういう動物だったのか。何かの風刺なのかもしれない(うそ)。ボヘミヤ民謡。ところで、NHKのクレジットでは、ボヘミヤ民謡とチェコ民謡と別になっているが、何か意味があるのだろうか?

この橋の上で

こちらがチェコ民謡。原題は Na Tom Bosileckym Mostku。切ない明るさの、幼い別離のうた。

誕生日のチャチャチャ

原題は、Che bella festa sara (素敵なパーティーになるよ)でイタリアの子供の歌らしい。誕生パーティーを自宅で友達を呼んで執り行うくらいは30年前でも珍しくはなかったが、出し物として音楽会を行い、「みんなで曲にあわせて歩きまわ」るくらい広い家なのである。

子犬のプルー

今でも人気の高い歌。初出の時は本田路津子さんが透明なハイトーンを聞かせてくれた。

詩人が死んだとき

フォーク・ソング風のシャンソンで、原題は Quand il est mort le poete で、ジルベール・ベコーが曲を作り歌った。作詞はルイ・アマード。詩人と言うのはジャン・コクトーのことで、63年のコクトーの死を悼んで65年に作られた。元の詞と比べると、世界中が泣いたり、麦畑に埋めたり、星になったり、矢車草が咲いたりするのは同じ。原詩のほうが簡潔な言葉の繰り返しでイメージを拡大させる俳句のような力があるのだが、訳詞はコトバが多すぎて説明調。まあ、しょうがないか。

大庭照子さんの歌唱だった。

そして君は

あの、「学生街の喫茶店」でその名を日本フォーク史上に残すグループ「ガロ」が歌った曲。60年代の社会の余熱が冷めていく様子がよく表現された、けだるい響きと調べ。70年代初頭には、まだこんな問いかけが可能だったのだなあ、と当時の小学生が思うわけもなく、ちょっと大人びた優しい苦味を覚える歌だった。

こわれそうな微笑

個人的には、「小さな木の実」と並ぶ名曲だと思う。歌も同じく大庭照子さん。メンデルスゾーンのピアノ三重奏曲が原曲とされているが、実際に第1番を聴いてみると、第一楽章冒頭のメロディをモチーフに展開したものだとわかります。確かにそのままのメロディなのですが、原曲ではどんどん違う風に展開していく。

このモチーフを大切に育みながら、全く別の曲に仕上げてしまったのだった。

月ぬ美しゃ

八重山民謡。広瀬量平の編曲で、赤い鳥がフォーキーに歌っていた。

アヒルの行列

「あひるの行列」という中田喜直さんの歌もあるが、これは全く別の曲。結構、シュールな歌詞だったりする。

ちいさい秋みつけた

サトウハチロー、中田喜直コンビによる童謡の中でも最も人口に膾炙したものではなかろうか。「みんなのうた」が始まるよりも前の1955年にNHKの委嘱で作られた歌。母と子のなんとか音楽会みたいなところで4人組コーラスが出てくると必ず歌われるであろう曲。情景がよく目に浮かぶ詞だが、このような情景は谷内六郎の絵や藤城清治の影絵の如く、もう何十年か昔に消滅してしまった世界のものであり、今の子供たちがこの歌を聴いて心に浮かべるのはどんな光景なのだろうか。

雪映えの町

倍賞千恵子が歌ったやや演歌調の北国情歌。冒頭いきなり「ひとりたずねたきたのまち」である。子供向けの歌なのに。こんな歌を小学生のときから聞いていた私は、中学に上がると一人旅をし始めてしまった。

博多人形に寄せて

中田喜直が「お国めぐりシリーズ」を作曲したのはこの歌くらいかもしれない。これも演歌っぽい。しかも、「中洲、那珂川、川端あたり、街に灯りのともるころ」である。子供向けの歌なのに。実は博多に単身赴任したお父さん向けの歌だろうか。今や童話歌手となった由紀さおりが悲しげな高音を響かせていた。

アッコちゃんの子守歌

幼児向けの歌ではあるが、この歌は放映時から嫌いだった。この時代のテキストの目次ページには子供の頃の私の字で、録音済みかどうかを示す○済マークが曲名の脇に付されているのだが、この歌の横は空白である。子供心に録音する気も起きなかったのかもしれない。しかし、メロディは頭の中に刻み込まれている。聴いていると非常に退嬰的な気分になってくる、何かわるい薬に関連するような歌ではないかと疑わせるような歌詞、およびメロディである。実はとんでもない名曲なのかも知れない。テキストに付された作曲者(渋谷毅)のコメントもヤケクソ気味で笑える。

みかん山で

明るいフォーク・ソング風子供の歌。作詞者の高校生の時の歌ということである。海が見えるみかん山のある島で他愛のない恋を夢見てそのまま結婚してしまうと言う、ほとんど暴力的に素朴な歌は、もう誰の耳にも届くことはないのだろうか。

クラリネットをこわしちゃった

言わずと知れた有名曲。だれでも知ってる、実はフランス民謡。そして、この歌を訳したのはシャンソン歌手の石井好子さん。(フランス民謡だからか・・・) 編曲は服部克久氏。由緒正しい血統書付き童謡である。

街にだかれて

ペドロ&カプリシャスあたりが歌いそうな、子供心には当時のちょっとオッシャレーな香りのするシティ・ソング。

地球を七回半まわれ

私がきいたときは既に再放送だったこの曲、当時聞いても「古い曲」のような気がした。「光速で走る自動車」を「地球を七回半まわ」らせるところに、「懐かしい未来」を感じるのかも知れない。

風と光と

中田喜直の手になる模範的な子供用合唱曲。松任谷由美も出現する前の時代、スキー場ではこのような歌が響いていたのだろうか。ソロの部分は天地総子さんが歌っていた。

春を歌おう

小林純一作詞、中田喜直作曲と言う、子供の歌の王道を行くような曲。雰囲気のあるいい曲なのだが、中国語、朝鮮語、ロシア語で「春が来た」と歌われるところに、何か政治的な意図を感じなくもない。単純に春を待つ、日本より北の国のコトバを使っただけなのかもしれないけれど、やはりどうも引っかかるものがある。

あの雲に乗ろう

編曲者、キーボード奏者として70年代に活躍していた深町純さんが作詞作曲歌唱をしている、「若者向け」調の曲。スケールの大きな、いい味わいの曲。一時期すっかりホサれてしまい苦難の時が続いたようだが、熱心なファンにも支えられ現在は完全に復帰されているようで喜ばしい限り。

谷茶目の浜

山本直純が合唱用に編曲した沖縄民謡。全曲、ちゃんとウチナーグチで歌われる。この曲、通信カラオケではちゃんと沖縄民謡のレパートリーに入れているところが多く、そのまま歌うことが出来るので、「島唄」「ハイサイおじさん」などと続けて沖縄関連曲メドレーを披露するときに便利。

算数チャチャチャ

平方根や三角関数が出てくる歌詞は小学生にはわからず、算数チャチャチャなんて言いながら中身は数学じゃねえか、と怒ったものであった。

さらばジャマイカ

ハリー・ベラフォンテが歌ってヒットした Jamaica Farewell、もとは「鉄の棒」というジャマイカ民謡だそうです。前田憲男さんのアレンジによる、洋モノみんなのうたの中でも出色の作品。

森の熊さん

泣く子も黙る有名曲。文字通り、眠くてむずがる赤ん坊に歌って聞かせるとあらあら不思議、ぴったり泣き止んで5分後にはすやすや。このような呪術的効果を持つこの曲は、みんなのうたでは唯一の作詞作曲アノニマスな歌。

どこまでも駆けてゆきたい

谷川俊太郎のシンプルだがイメージ喚起力の強い詩に、冨田勲がフォーク風のメロディを付けた歌。「そして君は」に続く、ガロのみんなのうたへの登場。これも当時から好きだった歌だが、復刻されないものだろうか。

ぼくの海

すっかり忘れていたが、歌詞を見て思い出した。何だか暗澹とした気分になる歌だった。

はるかな友に

早大グリークラブ出身で後に同クラブの常任指揮者をしていた磯部俶が51年頃に作った曲。静止画像を使った放送時のBGVも曲に合っていた。

わたりどり

鳥の姿に、成長していく自分を重ね合わせる淡々とした阪田寛夫の詞も、憧れが滲み出るわかりやすい湯浅譲二のメロディも、子供の頃から好きだった。湯浅譲二は、クラシックの方では結構「普通の」前衛的現代音楽を書くけれど、こんな平明な歌も作っていた。

冬の歌

作曲者のネジャルコフは、当時のブルガリア国立ソフィア少年少女合唱団の指揮者だった人。子供の合唱向けの明るい歌。

遠い海の記憶

「みんなのうた」と「少年ドラマシリーズ」の相互乗り入れというのも行われていた。これは新田二郎原作の「つぶやき岩の秘密」(これはこれで懐かしい!最近DVD化された)の主題歌だったもの。石川セリが歌っていた。70年代の匂いにむせるような雰囲気。

鳩笛

長谷川きよしさんの淡々とするなかに無限の情感がこもった歌が忘れられない名曲。その後、弘前を訪ねたときはこの歌を思い出して鳩笛をお土産に買ったものだった。

竹田の子守唄

一時期、自主規制のため、メディアから封印されてしまった名曲。事情については、Web上にも多くの記事がある。何も知らなければ、「五木の子守唄」などのような暗さも無く、良い歌だと思う。事情を知れば。

さとうきび畑

「みんなのうた」の中でも特に強い印象を与える反戦歌。「みんなのうた」がヒットのベースとなっていると思うが、様々なところで様々な歌手が取り上げている。たとえば、森山良子の歌唱は1969.09.25発売の「カレッジ・フォークアルバムNo.2」に収録。沖縄返還25周年の1997.8にNHK「みんなのうた」で取り上げられ再評価されこの曲で彼女は紅白歌合戦に出場。70年代にみんなのうたで初めて取り上げられた時に歌ったのはちあきなおみだった。

「音楽で反戦」なんて戦後社民主義的平和運動みたいな脳天気さがイヤだなあと思いつつ、実に静かに壮絶なこの曲が流れると、抗することが出来なくなる。先日もNHKの番組でクラシック系の歌手がこの曲をフルコーラス歌っていたが、2分半弱の「みんなのうた」の中では歌われない盛り上がりの部分、楽譜集にも出ていないフレーズ「お父さんとよんでみたい お父さんどこにいるの」というあたりにアフガンの地雷の如くしっかり組み込まれている「涙のスイッチ」が点火してしまい、ひどい目にあった。実に凶悪な歌である。

「音楽を聴くとき、それがいかなる音楽であろうと、それに服従することなく聴くことができるか?」 (パスカル・キニャール『音楽への憎しみ』 高橋啓 訳)

さらば青春

小椋佳の71年のデビューシングルB面の曲。「みんなのうた」では75年に放映されたが、当時の私には、なんでみんなのうたで?という違和感があった。

白い道

70年代という枠から外れてしまうけれど、ヴィヴァルディの四季を替え歌にしたものの中では出色の名曲。「冬」の第二楽章だが、タイトルの通り、冬を歌った詞が付けられている。北原ミレイの歌も芯が強くていい。